| 都会を離れて信州の山村で、薪を作り、囲炉裏の火をみつめ、住み暮らした12年の足跡の記録です。
また、これは山暮らしについての一種の「失敗談」なのです。 |
「そうだ、ぼくももうこれ以上金のために走らされる前に決められたレースを降りて、自分の足で
歩こうと思った。」
消費社会の喧噪を脱し、「走らされる前に、歩くんだ」と覚悟して始まった夫婦二人の山暮らし。厳しい環境の中で腰を痛め、指に豆をつくりながも循環する自然の営みの一員となって山の気で心の根を洗い、湧き水で体を潤す。しかし、人は確実に年をとる、張りつめた日常にいつまで耐えられるのか。
現代人がどこまで自由に歩けるかを真摯に追求した、労働と思索の清冽な記録文学。 |
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タイトル:山暮し始末記
著者:堀越哲朗著
装画:堀越芳枝
定価:1700円
版型:四六判カバー
頁数:333頁
出版:太田出版
発行:1999年6月発行
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| 目 次
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| 序章 もうひとつの生き方を探して……… |
7 |
第三部山暮らしの周辺………………………… |
267 |
| 一一一インド・東京・そして信州の山村へ |
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一 冬の風呂で思った詩人のこと |
268 |
| 第一部 清水平………………………………… |
39 |
二 モンペのダンディズム |
274 |
| 一 現代の疎開 |
40 |
三 早すぎるのさ何もかも |
291 |
| ニ 森の呼吸ニフンプの暮らし |
52 |
四 太鼓の響きが伝えるもの |
290 |
| 三 囲炉裏の火を児つめて |
63 |
五 漢方医・伊藤真愚先生のこと |
294 |
| 四 清水平の経済と四季 |
83 |
六 スズメバチと村長選 |
302 |
| 五 清水平を出る |
117 |
七 キノコ止め山 |
309 |
| 六 南インド再訪 |
133 |
八 里で暮らすということ |
319 |
| 第二部 巣寒多………………………………… |
155 |
九 変わりゆく山道・廃村の山を歩く |
323 |
| 一 伊那谷の廃村へ |
156 |
あとがき |
332 |
| ニ 卯沢の流れ・薪の山 |
173 |
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| 三 電気と闇のある暮らし |
185 |
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| 四 「土」と「土地」・畑と獣たち |
193 |
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| 五 山のベジタリアン談義 |
206 |
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| 六 チャボを飼う |
215 |
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| 七 巣寒多の経済と暮らし |
223 |
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| 八 自然界の生と死 |
235 |
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| 九 廃村の現実・山を降りる |
247 |
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森の呼吸・ランプの暮らし(「山暮し始末記」太田出版刊 52ページより)
最初は一年ぐらいたったら、秩父近辺の山村などもう少し東京に近い所に移り、そこでできる仕事でも探そうという気持ちもあったのだが、清水平で暮らしているうちにこのすっぽりと隠れた谷間の家の雰囲気がぽくもすっかり気に人ってしまい、そのままここにはまってずるずると月日が過ぎていった。ここの暮らしには時間に肌触りがあり、一日一日がゆっくりと過ぎていくのがわかった。
山には山の時間の流れが、いわば森の呼吸とでもいうべきものがあって、清水平で毎日シンプルな暮らしを続けていると、知らないうちにそれと自分が一体化していくように思えた。たとえば昼間、しーんと静まり返った近くの雑木林で倒木を伐っているとき、疲れてくると鋸で木を引く手を休めて、ひと呼吸入れる。倒木にもたれてしばし何も考えずにボォーツとしていると、放心状態になっている白分の眼と耳に、風にそよぐ葉のゆらぎやふと見上げた空の青、すぐ下を流れる沢の音や頭上の鳥の囀(さえず)り、耳元の笹藪を這う虫の音などがこころに沁(し)み入るように刻印されてくる。そうして森の木漏れ日が目の前の地面
に描く光と影の曼陀羅(まんだら)模様を何気なく見つめていると、ひょっとして永遠に停止したままの時間のなかに今自分は入り込んでしまっているのではないかという錯覚に捉らわれることがあった。そして無限とも思える一瞬の時が過ぎてほほに当たる陽の感触にふと我に返ると相変わらず川の水は陽の光を反射して流れ続けており、頭上で囀(さえず)る鳥たちもおしゃべりをやめてないことに気づくのだった。ただ時だけが、いつのまにか静かに進行していた。それは時計で計測する市民社会の時間とは別
種の、穏やかな川の流れのような時間の推移だった。
また夏から秋にかけては、まだ夜暗いうちから谷間の森に棲(す)む虫たちの鳴き声が少しずつ高まっていき、薄明時になるとそこに鳥たちのコーラスも加わ、それらが渾燃一体となって夜明けの太陽の光とともにピークの大合唱に達した。そして陽が昇るにっれて、波がすーっと引いていくようにして徐々にコーラスも静まっていった。それはワーグナーもマーラーも、どんなオーヶストラの交響曲も及ばない森の大シンフォニーであった。指揮をとるのは月と太陽である。夜更かしの癖がなかなか抜け切らないぽくは、その時間はまだたいてい寝ていたが、毎朝枕元でその大合唱の一部始終を無意識のうちに聞きながら、大自然との一体感に包まれて至福の眠りに浸っていた。あんなに深く眠ったことは、後にも先にもあまり記億がない。これだけは電気も水道もないあの谷間の隠れ里に暮らす者の特権であった。
しかし冬になると、とんでもない一騒音一で朝目が覚めることもあった。「ドゥルルルルル、ドコドコドコドコドコ……」という騒音を初めて耳にしたときには、また住民に断りもなく電気ドリルで何か工事でも始まったのかと思い、飛び起きたものだ。ところがそれは工事の音ではなかった。啄木烏のアカゲラがやってきて、家の壁を突ついていたのである。中に雛になる虫でもいたのだろう。人の気配がしても平気で壁を突ついている。つつき始めたらもうやめられないといった雰囲気である。騒々しいがユーモラスな鳥だった。 |
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