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手許に岡茂雄著の「本屋風情」という本があります。岡茂雄は梓書房を創立して、民俗、文化人類学、山岳関係の本を手掛けた人ですが、自らの体験から書いた「本屋風情」は、目次を見てもらえれば詳しくわかりますが、著者岡が出版活動を通
して知った人達のちょっとした裏話的な事柄が伺い知れ、私にとって興味の尽きない良書になっています。
その中に広辞苑誕生のことが書かれた一章があります。
昭和5年の暮れに近い頃、岩波茂雄氏と逢って話した時のこと。 「その時の話に出た一つである、辞書の企画を思い立ち、上洛して新村先生に、中・高校生また家庭向きの国語辞典の御著作をお願いした。語源や諦誌の造詣深い先生のことであるから、さだめしユニークな国語辞典ができるであろうと、ひそかに期待したからである。
先生は即座に「僕はそのようなものには與昧をもたない」とおことわりになった。」
新村出はこのような辞典を手掛けることに気が進まなかったようで、断わったが、著者があまり願うので、仕方なく『「昔、高等師範で教えたことのある溝江(八男太)肴というのが、長く勤めていた女学校の校長をやめて・今福井に隠退しているが、その溝江君が手伝ってくれるといったら、仕方ない、やつてみてもよい」と渋々ではあったが、応じて下さった。』ということで、引き受けることになった経緯が書かれている。
殊に著者はこの人気の出た『広辞苑』が新村出の企図に反することを恐れ、「百科的内答となったのは、溝江先生の進言によったもの」であることを述べ、その後、新村出の立場を考慮して「国語辞典への理想」を語ってもらう為、柳田国男、金田一京助、小倉進平などと共に長野県松本市で国語講習会のようなものを開くのである。
「私がかような前おきをしたのは、『辞苑』は新村先生自ら進んでなさったものではなく、私の強引な申し出に己むなく応諾されてできたものであるということを、はっきりさせておく必要があったからである。」(全部平凡社版 134頁引用)という一文を読んだ時、現在も日本の文化人やテレビ、新聞などのマスコミ、多くの人々に愛用され、頻りに引用で使用される言葉事典「広辞苑」が現在の版元岩波書店や最初の発案、制作を手掛けた岡の意図とは別
に肥大化し、ひとり歩きを始め、当初岡の将に恐れた事態が起こってしまった歴史の皮肉に思いいたした次第です。
最近、谷沢永一・渡部昇一氏によって「広辞苑の嘘」という本を書店で目にし、ちょいとこの本を思い出したので、この機会に多くの方にあの有名な辞典に就いての経緯を知ってもらうのも良いかなと。
岩波書店で発行されるようになった経緯なども触れられており、一出版社の努力によって育ってきた一冊の書籍=辞典の運命を考えてみるのもよいものでははいでしょうか。
ついでにちょっと楽しい字典を1つ 書いておきました。
「阿富汗斯坦、亜弗掩坦 」これ、何と読むか分りますか。
言葉の遊び字典です。 実際に小説などで使われた漢字の当字を
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